当園の保育

どんな時も子どもを真ん中に

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大切にしていること

植田にじの花保育園が考える大切なこと
手を出しすぎない 口を出しすぎない
私たちが保育のよりどころにしている言葉をご紹介します。
「自分の足であるかせてほしい」
たとえ 何度ころんでも  どんなにおそくても
自分の手でやらせてほしい  たとえ どんなにきずをつけても
どんなに下手であっても  自分の頭で考えさせてほしい
たとえ どんなに間違っていても  その間違いが
必ず その後の育ちに役立ってくれるのだから
斉藤公子(2011) 子育て=錦を織るしごと
「廊下で」
泣いている子がある。涙は拭いてやる。泣いてはいけないという。なぜ泣くのと尋ねる。弱虫ねえという。・・・随分いろいろなことをいいもし、してやりもするが、ただ一つやらないことがある。泣かずにいられない心もちへの共感である。
お世話になる先生、お手数をかける先生、それは有難い先生である。しかし、有難い先生よりも、もっとほしいのはうれしい先生である。
倉橋惣三(2008)育ての心
「こころもち」
子どもはこころもちに生きている。その心もちを汲んでくれる人、その心もちに触れてくれる人だけが、子どもにとって有難い人、嬉しい人である。
子どもの心もちは、きわめてかすかに、きわめて短い。濃いこころもち、久しい心もちは誰でも見落とさない。かすかにして短い心もちを見落とさない人だけが子どもと俱にいる人である。心もちは心もちである。その原因、理由とは別のものである。ましてや、その結果とは切り離されるものである。多くの人が、原因や理由をだずねて、子どもの今の心もちを共感してくれない。結果がどうなるかを問うて、今の、此の心もちを諒察してくれない。殊に先生という人がそうだ。
その子の今の心もちのみに、今のその子がある。
倉橋惣三(2008)育ての心

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